「泣かないで、いばら姫。可愛いお顔が台無しですよ」
エイジアは笑いながら、ヤコを宥めるように肩に手を掛け、その顔を覆う両手の一つに慎重に触れた。
「ごめ、なさ。嬉しくて…今のお話は本当でしょうか?」
「私は当たらずとも遠からずと思いますよ」
「そう、ですか…」
とても安心したような音色で言葉を紡ぐヤコの声に混ざって鈴の音が響く。
ちり、ちり、ちりん。
涼やかな音色を、それまで実際に聞いたことはなかったがエイジアは魔界にはおよそ相応しくない花の仕業だと理解した。
同じく薄暗い世界で唯一の光たる少女と呼応して、歓喜に身を震わせて鳴いているのだとも。
「ところで、私もプレゼントがあるのですが、姫は受け取ってくれますか?」
「ええ、もちろん」
エイジアはにっこりと微笑むと静かに唇を開いた。
++++++++++
その場所に近付くにつれ、麗しいテノールが大きく聞こえてくる。
ネウロは両目を細め、僅かに歩調を速めてスズランの園へ急ぐ。
バラの迷路を抜け、長身のネウロですら見上げるほどの高さの垣根の角を曲がるとすぐに目的の場所を目に収めることができた。
愛しい少女はネウロに背を向け、何よりも気に食わない男と膝を突き合わせて泣いているように見える。
ネウロは無意識に少女の背後に瞬間移動していた。
++++++++++
ハッピーバースデーという地上の歌を歌い終えたエイジアは、遠くヤコの背後にネウロの姿を認めた。
「ありがとうございます、エイジア様。とても素敵な旋律ですね」
「ええ。地上の唄なのですが、確かに誕生日を祝うのに相応しい歌だと思います」
「今度は、エイジア様のお誕生日をお祝いさせてくださいね」
「はい。楽しみにしていますよ」
涙を拭う愛妹の姿を目にしたであろうネウロが、ヤコの後ろに瞬間移動し無表情で自分を見つめていることに満足感を覚えながら、エイジアはヤコに笑いかけた。
ヤコはほんのりと頬を染め、僅かにたじろいだ。
「ヤコ」
「!!、ネウロ!お仕事は?」
頭上から響いた何よりも耳に馴染んだベルベットのテノールに驚いたヤコは、立ち上がり振り返ってネウロを見つめた。
「終わった。それより、エイジア貴様どういうつもりだ?逢引に加えあろうことかヤコを泣かせるなど」
「ちょ、何言ってんの!?エイジア様は何もしてない!」
「五月蝿い。ヤコ、黙れ」
「黙らないわよ!撤回して!エイジア様に失礼だわ!私、エイジア様とお話出来てすごく嬉しかったんだから!」
エイジアを隠すようにネウロの前に立ちはだかったヤコに、
一方の男はあからさまに苦虫を噛み潰したような表情で舌打ちし、
もう一方は秀麗な美貌に浮かべた笑みを更に深くした。
「ああ、貴様はどうしようもない淫乱だったな。忘れていた」
「なっ!?エイジア様の前でなんてことを…」
あわあわと抗議するヤコは、突然くらりとふらつき倒れ込みそうになったが、全てを見越したようにネウロがヤコの体を掬い上げて胸に抱き締めて支えた。
「ちょ、ネウロ、やだ、はなして」
ぐ、と腕を突っ張ってネウロの腕を振り解こうとヤコは躍起になったが、いまや補充されるべき魔力を持たぬ非力な少女が何よりも大事なものを腕に収めた兄に勝てるわけも無く。
恥ずかしさに声を上げると、今度はベンチに座って二人のやり取りを静観していた青年が噴き出した。
「っはは。姫、どうかお気になさらず。私のプレゼントです」
「え?」
「先ほどの歌もそうですが、貴女の兄君をプレゼント致しましょう。ネウロ、君には私のいばら姫を」
それでは、御機嫌よう。と言い残すとエイジアは立ち上がり去っていった。
エイジアがバラの垣根を曲がると、そこではゼラがこちらの様子を見ていた。
「いいんですかい?」
仮にも婚約者という立場のエイジアが身を引いたことに驚きつつゼラが尋ねた。
「ああ。いいんだよ。今日は二人の誕生日だからね」
清々しい表情でエイジアは答えた。
「…そんなものですかい」
「そんなものなんだよ。彼女を手に入れるにはまだまだたくさん時間はあるし」
一転してその蒼い瞳に夜の闇を宿してエイジアは言葉を続けた。
「それにね、私もまた紛れも無く王の血族なのだよ。忌まわしいことにね。
だから…、オペラはしっかりと鑑賞したいんだ。私が舞台に揚がるのではなく。
それに、できれば悲劇よりも喜劇が見たい。そうは思わないか?」
「ええ、まあ、そりゃあ」
「だから、今日のところはお暇するよ。また、近いうちにお邪魔するけれど」
「はあ…」
立ち去り際、エイジアは振り返り訳知り顔でゼラに笑いかけた。
「ああ、そうだ。スズランの花の音を初めて聴いたよ。とても綺麗な、…彼女のような音がするものだ。また聴かせて欲しいと姫に伝えておいてくれないか?」
「へぇ。かしこまりやした」
それでは、とエイジアが空間移転を行い目の前から消え去ると、ゼラは後ろを確認せずに自分も庭園を後にした。
歩きながら、ゼラはあの髪飾りの形は初代ネウロのプライベートシールを受け継いだネウロが、自ら妹のために考えたシールなのではないかと思った。
自分の、三角形に女性的な要素を持たせて半月型に。
そして何より、己の唾付きだと示す為のあの形と位置なのではないかと。
「ゲゲゲ、まあ、なんでもいいですがね」
ゼラはなにやら全身がむず痒いと思いながらも、口元が緩んでしまうのを堪えきれずに呟いた。
「たった二人の兄妹なんだ。仲良くするのが一番でさ」
++++++++++
「もう、エイジア様はいつでも紳士でいてくれるのに、何で兄様はあんな子供みたいな」
二人、ベンチに腰掛け、ネウロの膝に後ろから抱きかかえられながらヤコは頬を膨らませた。
「ヤコ、我が輩の前で他の男の話とはいい度胸だな。しかも、『兄様』と、そう呼んだか?」
ネウロは尖った顎先でヤコの旋毛を抉り込みながら、腰に回した腕の拘束を強めた。
ヤコはうぐ、と呻りながら腹部を締め上げるネウロの腕をペシペシと叩いた。
「だって、兄様は兄様じゃない。いつでも、どこでだって兄様だわ」
「ヤコ」
「兄様が居てくれたから、私はここまで成長することが出来ました。ありがとう、兄様」
「…」
ヤコはネウロの腕を振り解いて立ち上がると、彼を振り返って両腕を広げた。
まるで、これから嫁にでも行くかのような言葉を唇に載せるヤコを、ネウロは緑柱石を眇めて見つめた。
「ここまで成長できたから、もう、縋りつくばかりじゃなくて抱き締めることも出来るんだよ、ネウロ」
ヤコは、ネウロの頭を抱き締めて旋毛に唇を落とした。
「…ヤコ」
ネウロはヤコを見上げた。冷凍室に放り込まれていたかのような冷ややかさをみせていたエメラルドは緩やかに溶け出し、ねっとりと甘露な風情で妹の視線を絡め取った。
ヤコもまたカラメル色の瞳をうっとりと細めてネウロを見下ろした。
「私、ネウロの妹に生まれて幸せだよ。きっとこの魔界中、ううん、地球も、宇宙も、世界中のどこを探しても
きっと、私よりも幸せな人なんていない。そう思う」
「…ああ、そうだな。貴様は世界中の何よりも恵まれている。この、我が輩の寵を一身に受けられるのだから」
「ほんとにね。きっと、今すぐ天罰が下って死んだとしても後悔しないよ」
「ヤコ…貴様、仮にも誕生日に死ぬなどと」
「うん?あれ?そういう意味じゃないんだけどな」
誤解させてごめんね、とカラリと笑うとネウロから離れて石畳の遊歩道で天を仰ぎくるりと一回転した。
春色のドレスのスカートがふうわりと空気を孕んで膨らんだ。
ネウロは立ち上がり、ヤコの腕を掴んで引き寄せた。
同時にヤコの膝からかくりと力が抜け、倒れ込むようにネウロの胸に収まった。
「もう、止めろ。無駄に魔力を消費するな」
「うん。そうだね」
ネウロはヤコをベンチに座らせるとポケットから髪飾りを取り出し、丁寧な手つきでヤコにつけてやった。
じわりと暖かい何かが体の隅々に行き渡ったような感覚を覚えて、ヤコはほうと息を吐いた。
「ありがとう、兄様」
「ヤコ」
冗談交じりに自分を呼ぶヤコを恨めしげに見つめるネウロが、相応か、それよりも幼げな顔をしていたので、ヤコは嬉しくなってほんのりと上気した顔を綻ばせた。
「ありがとう、ネウロ」
「誕生日おめでとう、ヤコ」
「お誕生日おめでとう、ネウロ」
ネウロは腰を折ってヤコの前髪を掻き揚げ、額に軽く唇を落とした。
ヤコは擽ったそうに笑い、小さな両手でネウロの顔を引き寄せると小さく音を立てて頬に唇を寄せた。
「だいすき」
耳元でヤコが呟くと、ネウロは一瞬目を見開いて無防備に動きを止め、ややしてやんわりと、しかし力強くヤコを抱き締めた。
風が吹いて、スズランたちは一層涼やかな音色を夕闇に染まりゆく空に響かせ、
世界の何よりも幸福な兄妹を祝福した。
初稿 090901
世界でいちばん幸福な誕生日のおはなし
PR
この記事にコメントする
- ABOUT
【カラ*フ*ル/アートボックス】
Anti Hero Syndromeのモバイル版ギャラリーです。