「ヤコ、泣くなヤコ。もう大丈夫だ」
「ふえ、お、にいちゃ」
「もう大丈夫だ。貴様に血を吸われても我が輩は死なない。貴様も苦しまない」
「もう髪も伸ばさなくていい。すまなかった、ヤコ」
「う、ぁあああああ、お、にいちゃ、ああああ…」
ヤコの輝くばかりの長い髪は、いまや肩に届かぬほど短く、我が輩よりも短い位置でその丸い顔を包んでいた。
ともすれば男児と見紛う長さに切り落とされたヤコの髪の毛は、空気が抜けるかのような早さで急速に輝きを失い、萎れて金の砂粒になった。
同時に放出された魔力は瘴気に紛れ、壁を伝って外に染み出し、新たな謎を形成する源になるのだろう。
ヤコの髪の毛は確かに魔力を貯め込んでいた。
しかし、それはヤコの体で消費し切れなかった分を貯めておくのではなく、
ヤコの体から己の必要とする量を搾り取っていた。
浅ましいほどに際限なく、本体の衰弱すら省みず。
その現象はこの魔界では日常茶飯事であったが、まさか、
この、元より魔力の不足している小雀までもがそのように適用されているとは思わなかった。
これは強大な魔力を持つものにだけ特有の性質であると思っていた。
己の危急時に回復する為のツールとして、その機能を持つのだと。
しかし、この、ヤコの髪の毛は回復用のツールではなく、ヤコの命を蝕むパラサイトのように本体で消費されるべきエネルギーを搾取していた。
あの、我が輩を拒んだ瞬間にヤコはどれほどの絶望に打ちひしがれたのだろうか。
目の前に食料があるというのに、それを得られぬ絶望感。
口にしてしまえば際限なく求め、そして永遠に失われてしまうというパラドクス。
この幼い娘がそれをどれほど理解していたのかは解らないが、確かにあの瞬間、ヤコは己の衝動を全て押し込め全身で生を放棄してみせた。
我が輩の食事こそ、常に三度が三度取れるわけではないが、永遠に失われてしまうものではない。
否、いずれかは尽きしてしまうのだろうが、それは遥かに遠い未来のことだ。
我が輩と、ヤコが死ぬそのときまで続けばそれでいい。
だから、今はまだ、漸く永い眠りのときを経て成長を始めたこの花の栄養源を断つわけにはいかないのだ。
まだ、世界の何も見せてやってはいないのだから。
我が輩は小さなヤコの体を抱き締め、そんなことを考えていた。
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ネウロが長い長い話を終えて口を噤むと、漸くゼラは呼吸を許されたような気がして、大きく息を吸って吐き出した。
「だから、放っておけばヤコ自身を害しかねないのだ。もちろん、ヤコに魔力を分け与えるという意味合いもあるが」
「そんな、まさかヤコ様にそんなことが…」
「長くさせればそれだけ吸収量が増える。だから、我が輩はヤコに髪を伸ばすことを許さないのだ。
しかし、あの短い髪は実に理に適っている。この髪飾りから魔力が流れすぎるのを防ぎ、
しかしそのお陰であれの足りない器量を補っているのだ。
まったく、全てを他人任せにするそのスタンスはどうかと思うが、魔界の住人らしいと思わんか?」
およそ魔人らしからぬと言われ続けた妹の魔人らしさを誇らしげに語るネウロは、齢相応のあどけなさを滲ませた笑顔で熱心に手元に視線を落としている。
結合を解かれたクロミニオンが波を打ってネウロの手の上で踊る。
円盤状に展ばされ、半分に溝が入り、半月型が重なるように更に溝を描き、ぎざぎざと小さな半月の中に筋を入れる。
「まあ、確かにそうは思いますがね。でも、どうやって魔力を補充しているんで?今の話を聞くだけでもたった一回の充電で足りるとは思えねえでさ」
「それは、これだ」
ネウロは視線を手元に固定したまま、僅かに首を傾げて己の髪を彩る三角形の飾りを揺らしてみせた。
キン、と硬質な音を響かせて二つに分かたれた髪飾りがネウロの手に落ちると、彼はもう片方の手のひらでそれを隠すように押し包み、握りこんだ。淡い光が隙間から零れ落ちている。
「この、我が輩の髪飾りをセンサーにしている。ミスリルは魔力を貯め込む性質は無いが、任意の物質とリンクさせることで変化を教えてくれる。クク…ヤコにしてはなかなかに気の利いた贈り物だ」
「まぁ、ヤコ様は形の指定とお色を付けただけですがね」
ゼラはかつて、兄に誕生日プレゼントに髪飾りを贈りたいとヤコにせがまれてドワーフの工匠を連れてきたことを思い出した。
同時に、勝手に見知らぬ者にヤコを会わせたことと、ヤコに危険なことをさせたとしてネウロに手酷くお仕置きをされたことをも思い出してゼラは顔を顰めた。
「構わん。ヤコからの献上品であるだけで価値がある」
「さいですか」
とんでもないシスコンぶりを発揮されて一気に冷めたゼラは溜息を吐きつつ答えた。
「ところで、何でそんな形の髪飾りにしようと思ったんで?」
ネウロがその、どう見ても口の形にしか見えない髪飾りを、ヤコに贈ろうと思ったのかゼラには解らなかった。
ネウロならばもっと繊細なデザインにも、華美に作ることも出来るであろうに、その髪飾りにはどうしても美的センスを感じることが出来ずゼラが訊ねるとネウロは満足げに微笑み立ち上がった。
「うん?…さあな。さて、虫退治にでも行くとするか」
ネウロは小さく伸びをすると執務室を後にした。
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