ある日の夕方。
西日が射し込む事務所では名探偵を冠する少女が再放送のドラマをぼんやりと眺めていた。
別にそれが観たかったわけではない。何でもいい。音が欲しかったのだ。
この事務所は静か過ぎる。
宿題をするには最上の空間であると言えよう。エアコン完備(主にパソコン関係と接客のため)、給湯室付き、ドリンクはセルフサービス(あかねちゃんが淹れてくれる)。まさに願ったり叶ったりだ。
ただ、静か過ぎる。
静寂(それ)は弥子が些か苦手とするものであった。
別にどうと言うほどのものでもないが、なんとなく、落ち着かない。暴君たるこの事務所の事実上の主は謎探しや知識収集に集中してしまえば後は静かなものであったし、彼の口の利けない有能な秘書が立てる物音といえばパソコンのキーボードを叩く音程度のものだ。ある程度のリズムを持つ音に因って、元々そう出来の良い頭を持っているわけではない弥子も類に漏れず、過ぎたる静寂は夢の世界への渡し舟として作用した。或いは思考の海へと引き摺り込む流れであったり、若しくは感傷の呼び水であったりすることもある。
とにかく静寂の中での作業は効率が悪いどころではなく、成果が上がらない。それを解消するためにテレヴィを点けたのだった。
「愚かだな。世界の中心があんなチンケな一枚岩だなどと思っているのか、セミめ」
唐突に口を開いたのは魔人であった。
数年前に流行した小説の実写版であるそのドラマ。弥子は魔人の問いかけに答えかねていた。好んで観ていたわけではない。単にあらすじを知っているだけである。
「物の例えじゃないの?でもあんな岩目の前にしたら世界の中心だと思っても仕方ないのかも」
ああ、あんなステーキがあったらいいのに。お腹がすいたと少女は呟いた。魔人は少女に聞こえるように盛大に溜息を吐いた。
「答えになっていないぞ、メスブタ」
「うるっさいなー。でも、憧れはするよね」
ね、あかねちゃん?と首を傾げて振り向いた。お下げの秘書は肯定を示すように毛先を振った。ロマンティックで素敵だとホワイトボードにペンを走らせる。
「全く、下らんな。貴様は心情を吐露する為だけにわざわざ海外まで行こうと言うのか」
魔人は憂き顔で肩を竦めて見せた。既に宿題など弥子にとって大した問題ではなかった。明日は朝一で小テストがあると一瞬不安が脳裡を過ぎったが、所詮その程度である。魔人の講釈の方が重要なことのように思われた。姿勢を正して魔人に向き直ると、彼はどこから取り出したのか指示棒をぱしぱしと掌に打ちつけながら嬉々として喋り出した。
「いいか。地球は球いのだそれはわかるな?ではその球体の中心には何がある?」
「マグマでしょ?」
「その通り、マントルが流れているのだ。それの流れによって地球は自転しているのだ」
「うん。でもそれって、ネウロが言いたいことと違くない?」
話題が逸れているような気がして魔人に問い質す。ふふんと目を眇め、勝ち誇ったような表情で魔人は首を傾げた。
「おや?ものわかりがいいな、ウジ虫。その通り、マントルは球体としての地球の中心ではあるが、世界ではない。貴様らの世界はその表面に過ぎん。さて弥子、貴様は何故ここに立っている?」
そう言いながらその長いコンパスを常識では到底考えられぬところへと動かし―――垂直に壁を登り、蝙蝠の様に逆さまに―――弥子の前に立った。立ち位置(ネウロは天井からぶら下がり、弥子はソファに座っている)の関係上仕方が無いのだが、弥子はどんな姿勢をとろうと魔人を見上げることしか出来ないことが悔しいと微かに思った。
「…地面があるから?」
「このクズめ。引力が働いているのだ。ふむ。やはり貴様ではこの発見は出来なかっただろうな。まあよい。引力がなければ貴様など遠心力で宇宙の塵にしかなれん」
「いちいち人のこと貶めるよね…。ていうか引力無かったら死ぬの私だけじゃないじゃん」
「そうだ。この引力は世界中どこにいても誰にでも等しく働いているのだ。球体なのだからな」
「……………だから?」
遠回りに何か言われても理解できない。というか、こいつの言うことに限り理解したくない。憐れむような目を向けられてカチンと来るが、ここはがまんする。いつものことだ。
でも、こう、何か仕返しする術はないものか。
「………はぁ。まだ我が輩の言いたいことも汲み取れんのか?つまりだ、誰でも何でもどこでも同じ力が働いていると言うことは、世界の中心など存在しないと言うことだ」
「いや、言い方が違うな。世界の中心はどこにでもあり、且つどこにもないのだ弥子よ」
「あるけどない?意味わかんないよ。矛盾してるし」
私は文型脳だけど、理科的なことを交えて説明されてもさっぱり分からない。脳が拒否反応を起こして異国の言葉かとさえ思う。
仕方ないじゃん!苦手なことの一つや二つあったっていいでしょ!
「だから貴様はコナダニだと言うのだ。どこにでもあり、どこにもないということは、世界の中心は個によって異なると言うことだ。故に貴様のような自己中心的な者の世界はまさしくその者を中心に回っているし、エアーズロックが中心だと言う者にとってはそこが中心なのだ」
失礼なことを平気で言うよね…と既に乾ききった脳で思っても涙の一滴たりとも流れない。慣らされてしまった自分に薄ら寒気がする。
「じゃあ、エアーズロックが世界の中心でいいわけでしょ?」
ふと、疑問に思ったのだ。彼が長々と説明した答えが私のそれと変わらないのではないかと。
今回ばかりは彼の鼻を明かしてやったと内心ほくそ笑んだりもした。しかし、魔人は全く苦し紛れに暴力を振るうつもりはないらしい。それどころか、いかにも憐れむようにこちらを見るものだからどうしたのかと訝しんでしまう。
そのうち彼はフンと鼻を鳴らした。
「…ふむ。そうだな。だが貴様の世界の中心は本当にそこか?そんな行ったこともないような場所が」
ニヤリと厭らしい、胡散臭いばかりの微笑みを浮かべ、ずいと私の前に立つ。座った私の前にはテーブルが鎮座しているのに、何だってそんな狭いとこに入ってくるのか解らない。
「じゃあ、ネウロはどこだって言うの?むしろ自己中で俺様なのはあんたの方………いえごめんなさい冗談です許してください頭を砕かないでください」
私と同じ答えだというのに、魔人が変に偉そうにのたまうのにムッとして口を吐いて出た文句は最後まで続くことはない。奴の前では本当に、卑下も謙遜も存在しないくらいに私は矮小な存在なのだ。
「ム、我が輩か?我が輩は…ここだ」
ネウロは親指で下を指す。…いや、指の意味が違うから。喧嘩なんて売られて買うわけがない。絶対適うわけがないだろうに、死ぬだけ損だ。(それでもそうして捨て台詞を吐く吾代さんにはホントに敬服する)
そんなことを思っているとグイと手袋に包まれた大きな手で両頬を捕らえられて無理やり視線を合わせられる。引きずり込まれる、渦を巻く底なし沼。
さっきよりももっと卑猥な笑顔で最後通告を告げられる。
「ここならば何もせずとも謎が飛び込んで来る。暇つぶしにはちょうどよい奴隷人形もいるしな。…そういう意味では貴様、なのかも知れん」
1分間の永遠
初稿 080907
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